tomo-G の日常

定年退職後のG(爺)の日常です。

高価買取

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訳あって3年半前に自宅近くに借りた2LDKのアパートを、今月末で引き払うことにした。

部屋には家具・家電一式を買い揃え、偶然ではあったけれど、コロナ期間中は家族が感染した時の隔離部屋として随分と活躍した。けれど、いざ退去となるとひと仕事だ。家電製品は下の娘夫婦が欲しいと言って引き取って行ったが、その他の家具やGの釣り道具、上の娘の衣類など、捨てるに捨てられず、かと言って現状のままでは自宅に引き取るスペースを確保することもままならない。

そんな訳で、今回の退去を決めて以降、断捨離を始めた。家の中に、何年も使っていない、着ていない物がいかに多いことか。

3月一杯は毎週末、フルフラットにした愛車N-VAN一杯に不用品を詰め込んで、最寄りのクリーンセンターに通った。もちろん4月になって仕事をリタイアしてからも、クリーンセンターと買取店を1日おきに往復している。

近頃は、日本全国で買取店が繁盛しているようだ。テレビコマーシャルや新聞の折込広告でお馴染みの有名店もあれば、ある日突然「お宅に何か不用品はありませんか?」と社名も名乗らずに怪しい電話がかかってくることもある。Gが住む田舎にも幾つかの買取店があるけれど、総じて「何でも買います」を謳う店では、ただ同然で買い叩かれる様だ。

Gの奥方も、母親や姑から受け継いだ着物を買取店に持ち込んだ。中には泥大島紬結城紬の上物もあったはずだが、文字通り二束三文で買い叩かれた。それに比べて、中古のゴルフ道具や、釣り道具を扱う専門店は、査定する力もあって良心的だ。

昨日も使わなくなった古い釣竿30本と、船縁に竿を固定するロッドキーパー2個を中古釣具買取店に持ち込んだ。30本の釣竿は手元にある竿の約半数にあたり、30歳で釣りを始めて以来買いためたものだけれど、近年はまったく出番がなくてホコリをか被っていたものばかりだ。古いものは35年以上になるし、穂先が折れたガラクタまで含まれていたので、今回の査定額については全く期待していなかったのだが、なんと総額で10万円の値がついた。

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保管場所に困っていた不用品が10万円になるのだから驚きだ。これを資金にして、また新品の釣竿を再調達できるのだ。けれど、ふと思った。「こんな古い竿を一体いくらで売るのだろう?そして、一体どんな人が何を目的に買うのだろう?」

現役を退いてなお「商売とは不思議なものだ…」と感心させられるGであった。

 

 

春の味覚

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田舎で暮らしていると、知り合いの農家の方や、家庭菜園に励むご近所さんから、頂きものをすることが少なくない。季節季節の新鮮な野菜を頂くことが多くて、本当にありがたいことだ。

特に今の季節は、筍や新玉ねぎを食べ切れないほど頂くことがある。もちろん、新鮮なものは新鮮なうちに食べるに限るのだが、それでも限度はある。

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我が家では、筍は「筍ご飯の素」にして,冷凍保存している。これなら、一年中筍ご飯が楽しめると言う塩梅だ。

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新玉ねぎは長期保存のしようがないので、ひたすら食べる。電子レンジで5分チンすれば、一人一個くらいはペロリだ。ポン酢をかけても良いし、予め軽く塩胡椒をして塩昆布をまぶしてからチンするのも旨い。これに、とろけるチーズを乗せておけば、最強のビールのツマミだ。

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房総の春は野菜だけではない。生わかめや生ひじきも旬を迎える。

こうした海産物は、Gの場合ご近所から頂くことはまず無いけれど、釣りをやっていると船宿でお土産に頂くことがあるし、運が良ければ今の季節限定ながら地元のスーパーマーケットに並ぶこともある。普段見かける乾物のそれや、塩蔵物とは違う食べ物だ。

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これから暫く、「どうやって食べようか?」と家族全員で嬉しい悲鳴を上げるのである。

 

 

春の音

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花チラシの雨の翌日、両親に左右の手を引かれた一年坊主が、ランドセルを背負いながら、調子っぱずれの大声で「一年生になったーらっ!」と歌いながら小学校に向かって行った。

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同じ日、用水路の水門が開いて生命の水がほとばしり、その水が近隣の田んぼにくまなく行き渡って田植えの準備が始まった。すると、今までどこに隠れていたのか、蛙たちのまだぎこちない合唱が聞こえ始めた。

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そして、雑木林からは、切り裂く様なキジの鳴き声や小鳥たちのさえずりに混じって、季節遅れの鶯の気取った声が聞こえて来た。

みんな、春の音だ。

 

とらねこパン店

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Gのお気に入りの散歩コースには、「しんちゃんトンネル」のほかに、もう一つ気になるスポットがある。

その名は「とらねこパン店」。

JRの駅や主要道路から大きく外れ、周囲には田圃と雑木林しか見当たらない場所に、その店はある。

Gが散歩をする早朝はもちろんだけれど、昼間になってもそのパン屋は店を開かない。何せ、日曜日から金曜日までは定休日で、営業するのは土曜日だけなのだ。

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店長はとらねこの「みー」、らしい。

これは行ってみるしかあるまい。

土曜の昼前、雨が上がるのを待って尋ねてみた。

Gの前に1組の先客がいた。店内が極端に狭いので、外で待っていると、小さな子供連れの夫婦が店から出て来た。

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Gは先客夫婦と入れ替わりに店内に入った。

「ようこそ、とらねこパン店へ!」

生憎ねこ店長の「みー」は不在だったけれど、人間の若い男性2人がハイテンションで出迎えてくれた。まるでウルトラマンショーの司会のお姉さんだ。

さて、どのパンにしようかと選ぼうにもパンの種類が多すぎて困惑していると、人間の従業員さんが息つく暇もなくアレコレと製品紹介をしてくれるので、余計に頭がこんがらってしまう。

まずは、孫のリュウ用に猫の顔が描いてあるクリームパンを注文すると、

「どの子にします?」

ときた。

「へ?」

「一人ひとり顔の表情が違うんですけど、どの子がいいですか?」

「じゃ、じゃあ後ろから2番目の子で、あはは…」と言った調子。

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これに付き合ってる訳には行かないと、家族分のパンを適当に注文し、ついでに目に留まったフィナンシェを指差して言った。

「これ、2つ下さい。」

「じゃあ、ご自分で2つ選んでください。」

「へ?」

「当たりと外れがあるんですよ。」

「じゃあ、これとこれを…」

手前にあった2袋を店員さんに手渡すと、

「残念でした。両方とも外れです。当たりの袋には1個余分に入ってるんです!」

と、やたらに嬉しそう。

会計をしながら、なぜ営業日が週一日なのか尋ねてみると、次のような答えが返って来た。

・パンを焼いているのが、彼ら(人間の男性従業員)の母親一人であるから

・パンの具材(カレー、クリーム、あんこ等)まで母親一人の手作りであるから

・種類が多すぎて、深夜0時から焼き始めないと間に合わないから

とのことだった。

人間の店員さんの「良い休日をお過ごしくださ〜い!」との見送りの言葉を背中に聞きながら、「あの大量のパンは今日中に売り切れるのだろうか?」

と余計な心配をするGだった。

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しんちゃんトンネル

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我が家の娘たち(すでに三十路だが…)が卒業したM小学校の近くに、子供たちが「しんちゃんトンネル」と呼ぶ隧道がある。近隣の子どもたちなら、幼稚園児でも知っている。

我が家の娘たちが小学生の頃は、すでにその呼び名は子供たちの間に定着していたはずだ。

「しんちゃん」とは、言うまでもなく「野原しんのすけ」くんのことである。

このトンネルを見た子供の誰かが「なんだか、しんちゃんの顔に似てるね!」と言い、皆んなが「そうだね、そうだね!」と言い合って、噂が広まっていったのだろう。

言われれば確かにそう見えるが、最初に気付いた子の感性の、なんと素晴らしいことか…。

「しんちゃんトンネル」はGのお気に入りの散歩コースの途中にある。トンネル内には小さな仏様も鎮座している。

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さて、トンネルの向こうの出口は確かに「しんちゃん」の頭部に見えるが、よくよく見ると手前の入り口側が「しんちゃん」の妹の「ヒマちゃん」に見えるのはGだけだろうか?

 

老人の徘徊

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いよいよ、リタイア生活の開幕だ。

本当なら先週の土曜日からスタートのはずだったけれど、義父の葬儀があって3日遅れの開幕戦だ。

リタイア後の生活で、必ずやろうと決めていたのが早朝の散歩だ。

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現役の頃、奥方の運転で最寄り駅まで送ってもらう道中、何人ものお年寄りを見掛けた。犬の散歩のつもりが実は犬に散歩させられている人、上下スポーツウェアで決めてヨロヨロとジョギングする人など、まさに人それぞれだが、それを目撃したGは奥方に「また老人の徘徊だ!」と言って笑ったものだった。


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お年寄りを侮辱しているのではない。自分の近い将来の姿に対する「自嘲」なのだ。

健康的な習慣であって、何も恥ずべきでは無いけれど、なぜかその姿に哀愁と滑稽さを感じるのは、はたしてGだけだろうか?

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そして、自ら「徘徊」して気付いたのは、今までいかに自分が何も見ていなかったかということ。自宅の周辺には、実に色とりどりの花が咲いていた。

これからは、この花々を愛でつつ、哀愁と滑稽さを身に纏って「徘徊」を続けようと思うGだった。

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弟子

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3月29日、Gの最終出社日の夜、義父が亡くなった。

奥方の父親である。

92歳の大往生だった。

義父は某乳業メーカーのサラリーマンだったが、仕事一筋、貯金が趣味のような人で、遊興とか無駄遣いとは無縁の人だった。Gが若い頃、決して折り合いが悪かったわけではないけれど、ほとんど会話をした記憶がない。

何しろ口下手だし、無愛想なのだ。

そんな義父が何を思ったか、80歳を過ぎてからGの釣りの弟子になった。何気なく「たまには、海に出て釣りでもしませんか?」とお愛想を言ったら、なぜか「オウ、行くか!」と一発で食いついてきた。

義父の船釣りデビューは、大洗のエビ餌のハナダイだったと思う。

まれに見るほど手先が不器用な人で、指先に力が入るから活エビが針に刺す前にみんな潰れて死んでしまうのだ。

Gは義父に対して普段は敬語・丁寧語を使うのだけれど、この時ばかりは「なーにやってんの?どうすると、こんな風になっちゃうわけ?」と言った調子で師匠風を吹かせて「指導」した。

それでも義父は懲りずに、その後もカサゴやフグを釣りに出かけた。

そんな義父が亡くなった。

義父は昨年長男を亡くしていたので、葬儀の喪主はGが務めた。

「おい、会社が定年になったって、楽隠居するのはまだ早すぎるぞ!」と義父に気合を入れられたような気がするGだった。

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